大古です。今日は12月2日、土曜日。
 今日発売された、次世代ゲーム機鼎立の最後の一角「Wii」についての日記は、任天堂を研究している木村氏にお任せするとして、私は今日から公開が始まった映画「カジノ・ロワイヤル」について語ります。経営史のゼミとはあまり関係ないかも知れませんが、一応最後で少し関連付けてます。日記投稿もあまり多くないですし、まあその辺はご愛嬌で。

 
 今日から、英国人スパイのジェームス・ボンドを主人公とした「007」シリーズの最新作「カジノ・ロワイヤル」の興行が日本で始まりました。今回の作品の話題は、5代目ボンドを務めたピアース・ブロスナンが降板し、新たなボンドを立てていることです。
 しかしそれにしては、「カジノ・ロワイヤル」はドタバタがあったにせよ、一応同じタイトルですでに映像化されているものであり、今回はリメイクです。新人ボンドの「襲名披露」に当たるわけだから、オリジナルでもいいので新作をあてがってあげるべきだったのでは?「ボンドが007になるまでの物語」というコピーも、何となく「逃げ」の発想が伺えるような気がします。


 さてこのシリーズ、今回で21作目だそうですが、上記事情を見ても分かるように、深刻なネタ切れの感があります。それもそのはず、原作となる一連の小説が書かれたのはソ連東ドイツが健在の大昔だから。東西の冷戦が華やかなりし(?)頃は、共産主義による世界革命を本気で信じていた人も多かったわけで、資本主義信奉国は深刻な危機感を抱いていたことでしょう。そうした世界環境の中では、東側の陰謀を食い止めるため西側のスパイが大立ち回りをやらかし、派手に活躍するのも、ある程度のリアリティがあって聴衆に受け止められたのだと思います。


 しかしソ連はとっくに崩壊して「鉄のカーテン」は消え、あまつさえEUなるヨーロッパの連合さえ成立して協調ムードが漂う昨今、ヨーロッパで活躍していたボンドに活躍の機会はあるのか?このあたりは、シリーズの存亡に関わる問題でしょう。少なくともヨーロッパを舞台にした作品は、かなり作りにくくなっていると思います。


 もうそろそろ限界だと思っても、長く続いてきたシリーズなので、おいそれと終わりにすることはできない。こうした自転車操業的な部分は、企業の論理にも当てはまる気がします。長く続いてきた従来の商品が時代に受け入れられなくなったら、ターゲットや訴求ポイントを変化させるのが定石。カローラ(フィールダー)が木村拓哉さんをCMに起用し、若年層の取り込みを図っているのと同じようなもんです。


 この論理を「スパイ映画」という市場に当てはめることもできそうです。翻って現在の世界情勢を見るに、英国スパイが諜報活動を行っていそうな国と言えば、中国やイスラム圏中東諸国あたり。ではそのターゲットに送り込むべき「商品」はと言えば、今度の新ボンドは金髪で碧い目の兄さんだとのこと。これが訴求ポイントなら、このセグメントには全くフィットしていないでしょう。これは目立って目立ってしょうがない。多分即刻共産党などの当局にしょっ引かれて取調べされ、スパイの用は成さないはず。初代ボンドのショーン・コネリーなら結構色黒で濃い雰囲気があったので、何とかなったかも知れませんが。
 純粋白人伊達男のボンドが潜入しても怪しまれず、なおかつ現地の数多の女性を引き付けることができるのは、ヨーロッパ諸国やアメリカ等に限られます。そして現在は、それらの地域よりも中国やイスラム諸国の方に陰謀の種や政治的問題は転がっていることでしょう。今度の新ボンドは人選としては、かなりアウトなのではないかと思えてなりません。


 「007」シリーズの製作チームを企業と同じように組織として捉えるなら、深刻な「戦略不全」に陥っているような気がします。



(「トラックバック」を読ませてもらってからの追加事項)
 こういうこともあるんですね。情報革命による洗礼を受けさせていただきました。小論文でも言われるように、ステレオタイプの当てはめはイカン、と。こうやって全く見ず知らずの人間の間でコミュニケーションが成立し、もしかしたら新たなアイデアや考え方が生まれるかもしれない意外性が、ウェブ2.0というやつの真髄でしょうか。しかしまあ、このようなジャンク日記も誰かの目に触れているかと思うと、滅多なことは書けませんな。

 
 さて、どのように反応すれば良いのか知らないので、とりあえずここに追記します。基本的には「言い訳」なんで、興味の無い方はすっ飛ばしてください。

 
 「トラックバック」を付けてくださった方のおっしゃるように、ソ連が崩壊して「敵」がいなくなったとは、私も全く思いませんし、そのように書いてもいません。また、「007」シリーズは西側陣営のプロパガンダでもないので、ソ連そのものを敵にして叩いている作品がほとんど無いことも基本的に承知しているつもりです。しかし、「ソ連」という異質なものが健在だったこと、東西のイデオロギー対立が存在していたことは、西側である英国のスパイにリアリティを付与する上では(それが直接攻撃の対象にならないにしても)重要だったのではないかと思います。そして、ボンドが活躍できる舞台としての冷戦という非常に分かりやすい構造が無くなったことで、その存在がやや浮いたものになってしまったのではないかと、思ったわけです。


 ただ、62年のキューバ危機以降、東西の対立は緩和され、急速に融和ムードが広がったと言います。加えて91年のソ連崩壊以降にもシリーズはたくさん製作されていることを考えると、事実は確かに、上で書いたほど単純化できるものではないということではありましょう。同時代性が無くイメージでしか語ることができない分野に関しては、沈黙するしか無いのかも知れません。要反省。